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2010年08月22日

戦後を考える

日本(首都:東京)から世界を眺めた場合と、
沖縄から世界を眺めた場合では、
かなり視点が異なる


戦争を一つとっても・・・・まったく立場が違う





さて、明日から案内を頼まれた海外の方だが


<サハリン残留韓国人問題>

沖縄から台湾くらいの身近な国が

北海道ではロシアと言える
戦後を考える

本題だが



ウィキペディアより抜粋

朝鮮半島を日本が統治していた時代に、日本国籍を持つ朝鮮民族の人々も労働者として南樺太
(サハリン)へ出稼ぎや徴用により移住していた[1]

(1939 年からの「募集」、1942 年からの「官斡旋」、1944 年からの「徴用」)。

第二次世界大戦で日本が敗戦すると、ソ連が南樺太(サハリン)を占領し、
米ソ引揚協定により樺太からの引き揚げ対象者は日本人に限定され、
引揚者の選択もソ連当局が行うこととされた[2]。

これにより、樺太(サハリン)の日本人は日本領に引き揚げることになったが[3]、
朝鮮人は帰国できず、現地に留まることとなった。


ソ連としてはこの朝鮮人の労働力が石炭、パルプ、水産業に重要な役目を果たしていたため、
ソ連は如何なる犠牲を払っても事業運営の継統を望んでいたのであった」としている。

樺太(サハリン)に留まった在樺コリアンは、多くが朝鮮半島南部の出身であったが、
当時の韓国が反共を国是としてソ連と国交を持たなかったために、帰郷は事実上不可能であった[4]。



この当事者の方たちも、もはや高齢となっている

明日からご案内する方たちは、その二世~三世達だ



当事者の方達はハングル・日本語・ロシア語が話せたと言う

二世・三世達はほとんどがロシア語のみだが、明日からご案内する方達は
英語も話せる


この方々から見た日本とは・・・・・・・・・・・

案内をするより・・・・
色々こちらが勉強させて頂きたい




ヤマトゥ以外から見た『日本』とは・・・・



立場が変われば見方も考え方も変わる



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Posted by 南風と北風 at 23:29│Comments(0)歴史
 
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